50年後 銃社会の終了

新大衆社会では 

銃依存の考え方ではない社会

 

銃が身近にある 精神状態は異質でないだろうか

 

米国を日本人がみると

自分自身を銃で守る との考え方そのものが 他の排除の仕方が異なります。

銃の無い社会では 他に対して もっと穏やかな対応になります。

 

銃で殺されてから 銃を撃った人間が「間違えました」と謝られても

本人は死んでいて遺族がそのあとを対処するだけです。

 

殺される前に殺すことを強いていることが 銃を容認する社会で生きてゆく 

生き方となります。

 

怖い社会です。

 

銃の存在を容認しながら子供が育っていくことは 潜在的な精神のなかに

他人への恐怖が埋め込まれていると考えてます。

 

他との素直な融合をとれない社会を築き上げていることになります。

これを自立という言葉で隠しているように思われます。

 

子供の時の素直な状態 けがれを知らない純真な心を 続けていけない社会が

終えていくことを 求められていると思います。

 

生い立ちから 他に踏み込まれる 思う育ち方を 社会が強いていることは

子供にとって他に対しての優しさよりも 厳しさ・強さを求めることになります。

 

この考えのもとに考察すれば 今 新大衆社会の考え方を取り入れても

銃を無くしてから数十年は不安定な状態が続くことになります。